当サイトでは、国際資格を持つモンテッソーリアンまりこが、モンテッソーリ教育についてできるだけわかりやすい言葉を使って解説しています。
モンテッソーリ教育は知育だから頭よくなるよね?
モンテッソーリ教育は頭がよくなることはあるけど、知育じゃないよ。
モンテッソーリ教育がなぜ知育じゃないのか。
知育じゃないなら、一体どんな教育なのか、わかりやすく解説します!
モンテッソーリ教育は知育じゃない
頭がよくなるのは結果であって、目的じゃない
知育=知識の習得によって知能を高めることを目的とする教育(デジタル大辞泉)
モンテッソーリ教育の目的は、集中力、積極性、挑戦する心、責任感や他人への思いやりなどを持つ自立した人間を育てること。
その結果、知能が高まることはあっても知能を高めることそのものが目的ではありません。
やりたいことは子ども自身が選ぶ
まず大前提として、モンテッソーリ教育で、「この活動をしなさい!」のような子どもに押し付けることはしません。
子どもが自分がやりたい活動を自分で選ぶのがモンテッソーリ教育です。
子どもには、数を数えたくなる時期や、文字を書きたくなる時期、物の名前を知りたくなる時期など、知識を得たい時期というのが必ずやってきます。
そのときに、やりたいことを自分で選べるようにするため、知りたいことを知れるようにするために、いろんな教具や教材があるんです。
そして、やりたいことをやっているときの子どもはものすごい集中力を発揮して、結果としてさまざまな知識を吸収していくんです。
一見、知育玩具のように見えるモンテッソーリの教具は、子どもの「やりたい」「知りたい」という気持ちにこたえるためのもので、頭をよくするためにあるわけではないと言えます。
もちろん、モンテッソーリ教育をやっていると大人がびっくりするくらい知識を身につける子はいます。
わたしも現場で働いていたときは何度も驚かされました。
そういった子どもはインパクトがあるので、「モンテッソーリ教育=すごい知識が身につく=知育」というように誤解されてしまっているのかもしれません。
でもそういった知識が身につくのは、好きなことを好きなだけ掘り下げていけるモンテッソーリ教育ならではなんです。
モンテッソーリ教育は平和教育だ
そうやって自分の心が満たされることで、心から他人を思いやれるんだよね。
やりたいことをやって、自分の心が満たされる
やりたいことをやるって楽しい!
友達にもやりたいことをやってほしい!
友達を尊重する心につながる
平和への第一歩
意外に思われるかもしれませんが、自分の心を満たすことが、他人を尊重する心につながっていきます。
そして、それが世界平和につながっていくと、マリア・モンテッソーリ(モンテッソーリ教育の生みの親)は考えました。
知能を高めることを目的にして、子どもにあれこれとやらせても、この心は育ちませんし、たとえモンテッソーリの教具を使っていたとしても、それはモンテッソーリ教育ではないんですね。
どうやって自宅でモンテッソーリ教育を取り入れるの?
それなら「子育ての学校 ~おうちではじめるモンテッソーリ教育~」
モンテッソーリ教育というと知育的な側面が取り上げられがちだけど、頭を良くするということを目的としてはいない。
モンテッソーリ教育が目指すところは平和的な自立した人間を育てること。